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2023.08.18

比江島 慎|キャリアの集大成を自国開催のワールドカップで

比江島 慎 | Makoto HIEJIMA
SG/191㎝/88kg/1990年8月11日生まれ/宇都宮ブレックス/青山学院大学出身/福岡県出身

 

世界に挑む!男子日本代表候補インタビュー

比江島 慎|キャリアの集大成を自国開催のワールドカップで

 

前回大会での悔しさがさらなる成長の原動力に

「チームとしても個人としても何もできなかった…。本当に苦い思い出しかないですね」

2012年に日本代表に初選出されて以来、数々の国際大会を戦ってきた比江島慎がそう振り返るのがFIBAバスケットボールワールドカップ2019だ。「周囲から期待されていましたし、自分でも自分に期待しているところがありました。短期間ですがオーストラリアのNBLでもプレーして、一番良い状態で臨んでいたと思うのですが…。それでも何もできませんでした。本当に得るものがなかった、苦い思い出しかない大会になりました」と唇をかむ。

それだけ悔しがるのには理由がある。小学生のときから常にスポットライトが当たる道を歩んできた比江島にとって、改めて世界の壁の高さを痛感すると同時に自分の力不足を目の前に突き付けられたからだ。

比江島が全国区デビューを果たしたのが、小学6年生のときの全国ミニバスケットボール大会(古賀ブレイス)。独特のリズム感で相手をひらりとかわすドライブは今も当時も変わらぬ武器で、エースとしてチームを優勝に導いてみせた。その後、百道中学校に進学すると、福岡代表としてジュニアオールスターに出場し主力として活躍。ここでも優勝を経験する。そして3年生のときは全国中学校大会に出場するのだが(2005年)、決勝トーナメント2回戦で重度のねんざを負うことに。一度はベンチに下がるが、第4クォーター終盤にコートに戻ると、スティールから決勝点をねじ込み劇的な勝利。エースとしての意地を見せたプレーは、その後も大会の語り草となっている(チームは続く準決勝で敗退)。

そうして「福岡に比江島あり」と言われるようになった逸材は、名門・洛南高校の門を叩く。本人は「高校でどれだけ自分が通用するか、というところが課題でした」と言うが、当時の比江島の1 on 1はすでに超高校級で、その実力を認められると1年生のときから主力として躍動。さらに、「1 on 1だけでは勝てないところもあったので、洛南高校ではチームバスケットの重要性、オフボールの動き方、パス&ランのスタイルを身に付けました」という比江島は、在学中にウインターカップ3連覇(2006年~2008年)という偉業を達成する。特に、3年生のときの福岡第一高校との決勝戦は、4Q残り22秒で2点リードと勝敗がどうなるかわからない状況だったが、そこから比江島が放ったスクープシュートが一瞬枠の上で止まった後、リングの中に吸い込まれるように落ち4点差に広げたことが決定打に。「あそこで決めてこそ、エースとしての役割を果たせると思った」という頼もしい言葉を残している。こうして洛南高校でバスケットボールの力を着実に伸ばし、全国大会優勝という実績も残すことで自信を得た比江島は「高校を卒業する頃には、将来は日本代表に入って活躍するという明確な目標を持っていました」と言う。

その後、青山学院大学に進学するが、理由は「より厳しい環境に身を置きたかった」から。長谷川健志コーチ率いる当時の青山学院大学バスケットボール部は厳しい練習が有名で、ランメニュー、トレーニングなどがどの大学よりもハードだった。比江島は「なかなか自分一人では厳しいトレーニングが続かないので」とあえて青山学院大学を選び、また同時に「大学に入った時点で、長谷川コーチと一緒に在学中に日本代表に入ることを目標にしていました」と、大学の枠に捕われない意識を持っていた。そんな中でも、全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)は2年生時(2010年)、3年生時(2011年)に優勝。「フィジカル的に強くなったのはもちろん、技術的にも精神的にもタフになったと思います」と言う比江島は、4年生のときに日本代表に。在学中の日本代表という目標を達成する。

最後の代表の思いで大会に臨む「これまでの集大成を見せたい」

青山学院大学卒業後はNBLアイシンシーホース三河(現シーホース三河)に入団し、プロ1年目にNBLルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。天皇杯優勝も経験し、2016年にB.LEAGUEがスタートしてからは、2017-18シーズンMVPを受賞。2018-19シーズンはオーストラリアリーグNBL、2019年にはNBAサマーリーグにも挑戦。そうして自信を増してきた中で迎えたFIBAバスケットボールワールドカップ2019だっただけに、1勝もできずに終わったことが冒頭のような悔しさとなった。

だからこそ、その後「自分のスタイルを見つめ直しました」と比江島。中でも成長につながったのがB.LEAGUEでの戦いで「外国籍選手相手では自分が得意とするドライブやポストアップからの得点だけでは通用しない部分がありました。ステップの種類を増やしたり、ピック&ロールの使い方を工夫したり、外からのシュートを打ったりと、外国籍選手に対してどうフィニッシュするかということを意識してきました」と、外国籍選手とのマッチアップを自身のレベルアップにつなげていく。

その手応えは、東京2020オリンピックで感じることができた。「チームとしての結果は出なかったのですが、個人としては世界に通用する部分もあり、自信を取り戻せたと思います。満足はできないですが、自分の役割をしっかり全うできた部分もあり、成長したと思います」と比江島。2021-22シーズンに自身としては初のB.LEAGUE優勝(宇都宮ブレックス)を手にし、CHAMPIONSHIP MVPを受賞したことからも成長の証しと言えるだろう。

宇都宮ではB.LEAGUEチャンピオンに輝いた

来るFIBAバスケットボールワールドカップ2023は、トム・ホーバスヘッドコーチ(HC)のもと挑むが、「ホーバスHCになってから3Pシュートが増え、確率も良くなりました」と言う。「これまでも3Pシュートは打っていましたが、ドライブしてリングに近い位置でシュートするという確率重視のプレーを選んでいました。でもホーバスHCに3Pシュートの重要性を今一度気付かせてもらったことで、相手は僕の3Pシュートをチェックしつつドライブにも警戒しなければなりません。選択肢が増えたことで相手はより守りづらくなっていると思うので、ホーバスHCのバスケットを経験したことでプレーの幅が広がったと思います」とさらに成長している。

ただ、8月11日で33歳となった年齢を考えると「自分では今が全盛期と思っているので、もしかしたら最後の日本代表になってしまう可能性もあると思います。だからこそ、これまでで一番モチベーションが高いですし、これまでの集大成を見せたいとも思っています」と比江島。「ホーバスHCのバスケットを極め、僕を含めチームみんながアジャストできれば世界に勝つチャンスはあるはず。オフェンスは今までより点を取ることができるようにはなってきていますが、スカウティングもされているので簡単ではないとも思います。そこでカギとなるのがディフェンスで相手を混乱させること。高いインテンシティで臨めばチャンスはあると思います」と、並々ならぬ思いでFIBAバスケットボールワールドカップ2023に臨む。

FIBAワールドカップにかける思いは強い

 

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